津波てんでんこ:多くの命を救った、一言の防災標語

今年3月11日で、東北地方太平洋沖地震から 14年 が経過します。

みなさんは「釜石の奇跡」を知っていますか?釜石の奇跡と呼ばれる、防災訓練を受けていた、児童・生徒たちが生存した出来事です。

しかし、この釜石の奇跡は本当に「奇跡」と言えるのでしょうか。

大津波警報の発表時は…

大津波警報発表時は、すぐに3mを超える巨大津波が押し寄せます。「津波てんでんこ」の精神で、速やかに高台へ逃げ、命を守ってください。

すぐに海から離れ、高台や津波避難ビルへ避難してください。

多くの場合、津波は迫ってきています
周囲の人に大きな声で避難を叫びながら、すぐに避難してください。

戸惑う余裕はありません。過去にない大きさの津波が迫っています。

津波てんでんこ とは?

「津波てんでんこ」は、薄情なようではあっても、「てんでんばらばらに急いで早く逃げよ」という、津波から逃れるための教えです。

東日本大震災以前から、釜石市には「命てんでんこ」「てんでんこ」などといった言葉が残されていました。三陸海岸で津波避難の標語に転化したのは、明治三陸地震の津波の頃からと言われています。

決して間違えてはならないのは、「周りの人間を見捨てろというわけではないこと。

あらかじめどう行動をとるか決めておき、離れ離れになった家族を探したり、とっさの判断に迷ったりして逃げ遅れるのを防ぐ。これが「津波てんでんこ」です。

利己主義なのでは?

利己主義ではなく、ばらばらに自分だけでも逃げる、その意志を共有することで互いを探して共倒れすることを防ぐための約束事。
あなたの命を守るため、わたしの命を守るため、また一緒に会うために、「今はばらばらになってでも生きて逃げる」。という精神なのです。

「釜石の奇跡」だったのか?

東日本大震災においても、「釜石の出来事」と呼ばれる、「津波てんでんこ」を標語に防災訓練を受けていた釜石市内の小中学生らのうち、当日学校に登校していた生徒全員が生存する、という出来事がありました。

鵜住居小学校では、停電と非常扉の閉鎖により、防災無線が聞こえづらい状況の中、教務主任が児童を校舎3階に避難させていました。

しかし被害状況から、その後、一次避難場所である「ございしょの里」への避難、さらに裏山の崩壊と地域住民の助言を受け、二次避難場所の「やまざきデイケアサービス」へ釜石東中学校の生徒と共に避難しました。

これは彼らの防災訓練の成果なのです。

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EWRS総合情報共有局(EGIC)代表・会長を務める。 福岡県福岡市南区出身、11月23日生まれ。現在は東京都葛飾区在住。 東京都葛飾区(地盤増幅率2.39)で地震監視を実施。EGIC-LIVEは主に日曜担当。 2021年6月より団体の中枢を担い、団体発足当初から団体の総括を行いながらも団体職員として活動。 2024年3月からEGIC-Radioにもパーソナリティとして出演。EGIC-Radioのコーナー「エジック防災」の担当内容は「日常からできる防災」「地震について」「気象について」など。EGICの中ではどちらかというと理系枠。 EGIC-Radioの原稿についても担当しており、特に初期はその傾向が強かった。今も原稿制作・企画や監修を行っている。

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