3.9 三陸沖の地震(東北地方太平洋沖地震・前震)

2011年3月9日11時45分、東北地方太平洋沖地震の約51時間前に、三陸沖を震源とするマグニチュード7.3、深さ8kmの地震がありました。

宮城県栗原市・登米市・美里町で最大震度5弱を観測し、青森県から福島県にかけての太平洋沿岸に津波注意報が発表され、大船渡市で0.6 mの津波を観測しました(過小評価)。

また、翌日3月10日6時23分にはその近くでM6.8・最大震度4の当時最大余震と考えられていた地震が発生するなど、3月11日の超巨大地震当日にかけ、震度1以上を観測する余震が発生していました。

気象庁はこれが「東北地方太平洋沖地震の前震だった可能性がある」としています。

また、2011年2月13日から、3月9日の地震とほぼ同じ場所でM5.5を最大とするM5クラスの地震がまとまって発生していました

明後日3月11日で、東北地方太平洋沖地震から14年になります。

北海道・三陸沖後発地震注意情報:前震活動の教訓

今年3月11日で、東北地方太平洋沖地震から 14年 が経過します。

「北海道・三陸沖後発地震注意情報」を知っていますか?多くの人が知らない割に、重要な情報なのです。

北海道・三陸沖後発地震注意情報

「北海道・三陸沖後発地震注意情報」は、北海道の根室沖から東北地方の三陸沖の巨大地震の想定震源域やその周辺でM7.0以上の地震が発生し、大規模地震の発生可能性が平常時より相対的に高まっている際に発表される情報です。

しかし、後発地震が発生しない場合の方が多いこと、その一方、防災対応を呼びかける1週間が経過した後も大規模地震が発生する可能性があることなど、極めて不確実性が高い情報となっています。

では、なぜ発表するのか?

しかし、この情報を気象庁が発表するのは、過去の大規模地震が後発地震として発生している事例があり、不確実性が高くとも被害軽減を図ることができると考えられるからです。

大規模地震が後発地震として発生した例として、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震が挙げられます。

突発的に発生する地震への日頃からの備えを前提とした上で必要な防災対応を呼びかけ、より多くの人命を守るための取り組みだと説明しています。

ただ、一般的に大きな地震が発生すると、地殻にひずみが生じ、そのひずみを解消するために、さらに地震が発生する余震が発生することがあるため、大きな地震のあとには同程度の地震には必ず注意する必要があるのです。

津波てんでんこ:多くの命を救った、一言の防災標語

今年3月11日で、東北地方太平洋沖地震から 14年 が経過します。

みなさんは「釜石の奇跡」を知っていますか?釜石の奇跡と呼ばれる、防災訓練を受けていた、児童・生徒たちが生存した出来事です。

しかし、この釜石の奇跡は本当に「奇跡」と言えるのでしょうか。

大津波警報の発表時は…

大津波警報発表時は、すぐに3mを超える巨大津波が押し寄せます。「津波てんでんこ」の精神で、速やかに高台へ逃げ、命を守ってください。

すぐに海から離れ、高台や津波避難ビルへ避難してください。

多くの場合、津波は迫ってきています
周囲の人に大きな声で避難を叫びながら、すぐに避難してください。

戸惑う余裕はありません。過去にない大きさの津波が迫っています。

津波てんでんこ とは?

「津波てんでんこ」は、薄情なようではあっても、「てんでんばらばらに急いで早く逃げよ」という、津波から逃れるための教えです。

東日本大震災以前から、釜石市には「命てんでんこ」「てんでんこ」などといった言葉が残されていました。三陸海岸で津波避難の標語に転化したのは、明治三陸地震の津波の頃からと言われています。

決して間違えてはならないのは、「周りの人間を見捨てろというわけではないこと。

あらかじめどう行動をとるか決めておき、離れ離れになった家族を探したり、とっさの判断に迷ったりして逃げ遅れるのを防ぐ。これが「津波てんでんこ」です。

利己主義なのでは?

利己主義ではなく、ばらばらに自分だけでも逃げる、その意志を共有することで互いを探して共倒れすることを防ぐための約束事。
あなたの命を守るため、わたしの命を守るため、また一緒に会うために、「今はばらばらになってでも生きて逃げる」。という精神なのです。

「釜石の奇跡」だったのか?

東日本大震災においても、「釜石の出来事」と呼ばれる、「津波てんでんこ」を標語に防災訓練を受けていた釜石市内の小中学生らのうち、当日学校に登校していた生徒全員が生存する、という出来事がありました。

鵜住居小学校では、停電と非常扉の閉鎖により、防災無線が聞こえづらい状況の中、教務主任が児童を校舎3階に避難させていました。

しかし被害状況から、その後、一次避難場所である「ございしょの里」への避難、さらに裏山の崩壊と地域住民の助言を受け、二次避難場所の「やまざきデイケアサービス」へ釜石東中学校の生徒と共に避難しました。

これは彼らの防災訓練の成果なのです。

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