はじめに
はじめに、阪神・淡路大震災で被害を受けられたすべての皆様に、お見舞い申し上げます。亡くなられたすべての方のご冥福をお祈り申し上げます。
本日、2025年1月17日で、「兵庫県南部地震」から30年が経過しました。今の30歳より下の若い世代は、この地震を経験していません。
1995年1月17日、あの日。何があったのか。
30年経った今、一度、振り返ってみましょう。
地震概要
発生時刻 | 1995年1月17日 5時46分51.8秒 |
震源地 | 大阪湾(淡路島北部) |
最大震度 | Ⅶ(激震) |
マグニチュード | 7.3 |
震源深さ | 16km |
この地震では初めて震度Ⅶと判定され、兵庫県の神戸市周辺や淡路島にて、現地調査によって震度Ⅶが判定されました。
当時、テレビの速報で発表された最大の震度は5。約30分後の6時18分に震度6と発表されたものの、震度7が発表されたのは2月7日。地震発生から半月以上が経過していました。
兵庫県南部地震の被害
兵庫県南部地震は、人口350万人余が密集する大都市の直下で発生した「都市直下型地震」でした。
死者は発生当時戦後最多となる6,434人、行方不明者は3人、負傷者は43,792人に上り、689,776棟の建物が被害を受け、被害総額は約10兆円に達しました。
これは、戦後の国内災害では、当時(2011年3月11日までは)最大の死者数を出した災害となり、大都市の地震災害に対する脆弱さを示す結果となりました。
また、この地震の教訓として、当時は気象官署などに限られていた震度観測点を、気象庁、防災科学技術研究所、地方公共団体の計約4,200か所と大幅に増強し、震度観測点のデータを気象庁の情報発表に活用するように変更されました。
震度5?震度6?震度7?
当時の震度7は震度計による計測ではなく、建物の倒壊数などの現地調査で判断されていました。
しかし、先述した通り、震度7発表が2月7日と遅かったこと、震度6とされている場所の揺れが他の地震(例:三陸はるか沖地震)における震度6をはるかに上回る揺れとなったことが指摘されました。
震度7を計測震度で判断するようになり、震度5や6を5弱、5強、6弱、6強へ二分することも行われるようになりました。また、緊急地震速報もこの地震の後に整備されることとなりました。
この地震以後、計測震度4.5以上5.0未満を震度5弱、5.0以上5.5未満を震度5強、5.5以上6.0未満を震度6弱、6.0以上6.5未満を震度6強、6.5以上を震度7とすることになり、翌年から適用され、現在もその震度階級が用いられています。
兵庫県南部地震後の変化
阪神・淡路大震災によって日本の耐震や防災に関する意識は大きく高まりました。
耐震基準も、兵庫県南部地震を機に大きく変わりました。
そして、下げ止め式の蛇口も、この震災を機に全国的に普及したと言われています(諸説あり)。
「お・は・し・も」の防災標語も、この地震の教訓として、消防庁によって教育指導ガイドラインに記されるようになりました。
「お」おさない
「は」はしらない
「し」しゃべらない
「も」もどらない
この標語は、兵庫県南部地震の教訓なのです。
おわりに
兵庫県南部地震から30年が経過しました。
これから30年以内に80%の確率で発生するとされている「南海トラフ巨大地震」。一度発生すれば、東海、近畿、四国、九州地方に甚大な被害が見込まれます。
私たちが未来を予測するのは、現段階ではほとんど不可能です。いつ、どんなときに災害が発生してもいいように、常に対策を心がけなければなりません。
過去の災害を学び、私たちの取るべき行動を見極めていく。それが、今の私たちに必要とされていることではないでしょうか。